月別アーカイブ: 2021年8月

本当の毒親は「わたしは毒親だよ」って言わない

古い友人に会いに行ったら
物静かでDIYの得意な旦那様と、とっても可愛いお兄ちゃんと妹がいて
お家の雰囲気がとってもあったかくて

アーここで育ちたい

って、思ったことがある。
子どもたちの視線や動きがとても素直で優しくて
久しぶりに会った彼女を改めて尊敬したし、さすがだなぁ~~~とジンとした。

その子に今日「お母さんの才能すごいよね」と思ったことを伝えたら

「いやいや、毒親だよw」と返ってきた。
「菩薩と毒親が入れ代わり立ち代わり・・・」

それって・・・凄く素直じゃん!!!!と、
改めて、

アーわたしを育てて~

と、思った。

お母さんが「自分らしさ」を「お母さん」という隠れ蓑で消すと、
子どもは時に不安になって、「お母さんの本当」を探るために
色んな形で“試し”だす。

こっちが「寝てよ」って思ってる時ほど寝ないとか、
悪戯をするとか、怒らせようとして困らせるとか。
「困らせても嫌ったり離れていかないよね?」という信頼の元、
どこか不安で試してしまう。
(恋愛でもよくやりがち)

子どものほうが、本能的で野性的なので侮ってはいけません。
全部バレる。ただ、言葉をまだうまく使えないだけで、
きっと大人より、本質を見抜く力はたけているし
お母さんが大好きだから、信頼してるからこそ、体当たりでぶっこんでくる。

世間で言う正しさを基準にしたり、
なんとなく耳障りのいいことを伝えたり、
空気が読める子にならないと、不幸になるって指導してたり
自分が出来なかったことを、できるようにと願ったり、
情報に惑わされて子育てをすると、

お母さんの“本当”がわからない。
あ、いまお母さんの言ってる言葉は、自分の言葉じゃなくて表面上だって気づいてしまう。
悪戯してみる。
お母さん、ボクいま、悪いことしたよ。怒っていいのにどうして怒ってくれないの?
→これって、すごい孤独感
(怒らない子育てが流行った時、爆発しそうな子をよくみかけました)
お母さんが本音や感情を押し殺しているから
代わりに子どもが大胆に弾けている時もある。
代わりにやってくれて「これしたいんでしょ?みてみて!気づいて」ってやってるのに、
お母さんめっちゃ否定する 

みたいな。

本音が聞こえない事は、
凄く、冷たくて怖い気持ちになる。

人はそもそも微量の毒を成長過程で手にしてきます。
食べ物からも、メディアからも、他人からも、大人からも
毒をちょっとづつ貰ってしまう生き物なので、
自分を守るために、毒を持たないと、生きていけない。
だから、「毒を持つ能力があるのが人間」だと思う。

それも子どもは知っていて
お母さんがただの菩薩のフリをしていたら、こわっ!!!って思うのだ。
人間をやりたくて、人から生まれてきたのに。

弱い所、汚い所、ズルい所、ダサい所、傷つけてしまう所があるから
人はかわいい。

毒される前の子どもたちの方がよっぽど菩薩様に近い。

うちの子たちも自慢ですけど
めちゃくちゃ素直で優しくて、わたしはいつもひっくり返ってしまうんだけど、
たぶん、わたしが毒を隠さないからなんだと思う。
もし、言いすぎたり傷つけたりしてしまったら、
顔で分かるから、ハッとしてすぐに謝ったらいいと思ってる。
(ショックだからずっと謝ってしまって「もういいよ~www」って言ってくれるけど
私の方が傷ついていたりする・・・)
それくらいには、仲良しであるし、これからもそうで居たいなと思っている。

友人が、「わたし毒親だよw」って言ったのをきいて
どんな毒を披露しているのかは分からないけど、
自分でそう思ってるってことは、
ちゃんと、子どもを子ども扱いせずに、対等の「人」として接したいと思ってるから
自分をぶつけちゃったときに「毒親してしもたぁ~~~」と反省できているから
「毒親だよ」っていえるよね~

その反省を「ごめんね」ってチラ見できちゃった子どもたちは、
「お母さん、かわいいかよっ!!!」って、なると思うんですよね~~~元子どもの意見としては!

え?甘えすぎ???

甘えすぎたなっておもって
「甘えすぎてごめんね」って言ってみたことがあるけど
「甘えたらいいんだよ~」って、嬉しそうに頭をなでてくれる娘たち。
仲良しが増す。

わたしも、なかなか最強の毒親だとおもう・・・
そして、世の中のお母さんたちに
「自分らしさが漏れちゃってもそれは毒親とは言わないよ」
と、お伝えしたいなと思って、この記事を書いています。

にんげんだもの~

notice/気付く 本当の宝物

コロナで世界の価値観が揺らぎ、
自分にとっての「本当に大事なもの」ってなんだろう?と、
立ち返った方も多いかと思います。

本能的な場所を刺激して

しあわせってなんだろうとか、
生きる意味ってなんだろう?・・・

とか。

人が感じる「しあわせ」には2種類あって、
ラッキーを感じた時だったり、恋のキャッ♡だったり、臨時収入だったり、誰かに褒めてもらえたりする、瞬間的に血糖値が上がるような幸せは 「お砂糖型」 。ガッとアガって、がんと下がります。

四季の移ろいを感じて鳥の歌声に嬉しくなったり、天気が良かったり、
家族が笑ってたり、他者と緩やかに繋がっている実感であったかいね~とホッとしたり
ただ生きてる事に嬉しくなったり、当たり前に既にある物をじんわりと味わうような「おだしの旨味型」の2種類。
「おだし旨味型」は、ゆっくりとゆるやかに幸せゲージが上昇して、停滞しにくい仕様になって居ます。

両方、楽しめた方が良いのだけど、
ついつい人は、刺激と中毒性の高い「お砂糖型」を求めてそれを「幸せ」だと思ってかき集めてしまう。
けれど、まさにお砂糖と一緒で、

バー――ッとハッピーを感じた後、ザーーーッと冷めていくのがこの類の幸せ。

誰かに評価されて、刺激を求めて、奇跡を連続で起こしていないと、
ドンドンとのどが渇いていく幸せ。
お金や環境に恵まれているのにしあわせを感じられていないという方は、
このパターンな気がしています。

しかも、外的要因が必要だから、どんどん自分自身が渇いていっちゃう。

お砂糖型のしあわせも、時々、エキサイティングに感じていたいけど、
その根底に「おだしの旨味型」の幸せをじっくりとはぐくんで居られたら、
お砂糖が切れても、乾かない幸せがあるのです。

天気がいいね、雨も気持ちいね、桜が咲いたね、ビールが今日も旨いねみたいな、
ささやかで極上の幸せをいかにじっくり味わえるかは、幸せかどうかに大きくかかわってきます。

このコロナで、人と会えなくなり「お砂糖型」のハッピーの摂取が難しくなりました。
お陰で、手の届くところにある幸せに気づく方も増えたと思うし、
これからでも、気づけたら、生きて行く勇気になると思うのです。

目の前の大切で幸せの要素に気づいたら、そのあとにできる事は、
「伝える事」

どれだけ近くに居ても、伝えないとその気持ちは「ない」のと一緒。
伝えるだけで、生きて行くエネルギーに変わると信じています。
(だからというわけでは無いけど、毎日娘たちには尊敬と感謝と愛をうざいレベルで伝えています

って言っても、喋り言葉なので軽いのですが、

「今日のこと、教えてくれてホント嬉しい。ありがとう」とか
手のひらを重ねて「また大きくなったね」とか。

「お‼机の上綺麗だね!」とか発見して褒めると「ありがとう^^」って言ってくれるから嬉しいし、

「(顔見るたびに)今日もカワイッ♡」

みたいな・・・

しみ込め・・・しみ込め・・・これは、本音で呪文・・・(大人の本音はズルさとして駆使します・・・)

手の中のこの小さくて柔らかくて純粋な塊に、
今しかできないことで、何を残したいかなと思ったとき、
わたしの中には絵本がありました。

けっして、「子どものため」に自分を削って差し出すものじゃない、
「子どもとわたしのため」の絵本作り。
絵本は愛を語った喋り声の「音」ではなく、手に取れる「物」に
呪文をしみ込ませた、育児ツールだと思っています。

もしかしたら、絵本のWSに参加して下さる方は
初めての事で緊張しているかもしれない。

だから、お話を聞いて、簡単にムリなく完成が出来るように
「じぶんにはきっとムリだろうな」
みたいなもったいない感覚はウソなので、
それに気づいてもらえるようにアドバイスさせてもらえたらと思っています。
(とはいえ、ご本人が描かないと進まず完成の保証もできないので、
「描きたいな!」って心が動いた方限定になってしまうのですが・・・!)

言葉は過去になってしまったら勘違いが含まれてくるけど、
絵本は読まれた分ヨレて色あせるけど、開くたびに鮮やかに今の大好きを内包して届けてくれます♪