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余白の作り方②

前回は、余白の基本は呼吸!っていう話をしました。
むしろ、呼吸を極めることで充分心が生きていけます。
マジで、鬼は呼吸で倒せる。

心が少しゆるんできたら、何をしたら余白っぽいか想像してみてください。
ぼーっとしたり、ホッとしたり、力を抜いて過ごせるなんでもない時間。

例えば、

  • コーヒーを飲む
  • 漫画を読む
  • 昼寝
  • 日向ぼっこ
  • サウナ(!)

ちょっとした隙間でやれそうなこと。無理なくできる気持ちのいいこと。
周りにも協力してもらいやすいことがいいでしょう。
私は当時「察して」意識が強すぎたし、実際主人も忙しかったので拗ねてたのもあるし、
時間的&環境的に出来なかったのですが、
今思えば、周りのせいにして、そんなの願えば簡単に叶うのに、願うことさえしなかった。

どうしてあの時、勇気を出して
「1時間コーヒー飲んできたいから、一人で行ってくるね?」が、言えなかったのか・・・!

お子様がいなくても、同じようなことがあります。
常識の枠や、人の目を気にしすぎて、身動きが取れなくなってることも。
(そんな自分に気付いたなら、心のイケメンとおしゃべり♡)

それができるようなると、心が明るくなってきます。

自分のしたいことが少しづつ「見えて」くるので
輪郭ができてきて、余白も持っていることができるようになってきます。

ここは、私がしたいことだけど、ここは、私じゃなくていい。

みたな、完璧を目指さなくなって、苦手があることも許せるようになってきます(これが自己受容です。余白に詰め込むのは、これがクッション材になります)
TPOに合わせるって自分で決めれば、人に合わせたって、主体性が生まれます。

もっとかっこいい余白を作りたいと思ったら

  • 絵を描く
  • 音楽やダンスを習ってみる
  • 一人旅してみる
  • BlogやSNSで発信してみる

など、「それやっても、別になんにもならないしな」と思ったり「もうこんな歳だし」とか年齢や人目を気にして、多分ちょっと怖いことだと思うんだけど、後回しになっていたずっとやりたかったことの優先順位をあげてみてください。

勇気がいると思いますがそれができたときに、すごい満ち足りたあったかいものが腹のそこからわいてきます。自信にも似た感覚ですが、下から湧いてくる感じです。

そうやって、見えない枠を飛び越えた時に味わえる充足感を「豊かさ」と言います。

成長と自由を感じることを人は「生きてる」と輝きを放つ瞬間です。

デザインも音楽も余白にその人らしさや魅力やセクシーさが現れて
人を引きつけることができます。

人の心も、その人らしい余白を持つことで魅力的になり人生を存分に楽しむことができるようになります。

一昼夜で余白上手になるわけではないのですが、意識するだけで随分と気が楽になると思います。

ぜひ、力が入りすぎてる人、最近自己否定が強くなっちゃってる人、
それは全部、あなたのせいじゃないです。

疲れてる体のせいです。
だから、呼吸で重たい気持ちを吐き出してみてくださいね!

針で突いたような小さな点でもいいから、余白を体験できたらいいなぁと思います。
そして、みんなでおしゃれでPOPな余白ライフを描いていくのが私の夢です♪

本当の毒親は「わたしは毒親だよ」って言わない

古い友人に会いに行ったら
物静かでDIYの得意な旦那様と、とっても可愛いお兄ちゃんと妹がいて
お家の雰囲気がとってもあったかくて

アーここで育ちたい

って、思ったことがある。
子どもたちの視線や動きがとても素直で優しくて
久しぶりに会った彼女を改めて尊敬したし、さすがだなぁ~~~とジンとした。

その子に今日「お母さんの才能すごいよね」と思ったことを伝えたら

「いやいや、毒親だよw」と返ってきた。
「菩薩と毒親が入れ代わり立ち代わり・・・」

それって・・・凄く素直じゃん!!!!と、
改めて、

アーわたしを育てて~

と、思った。

お母さんが「自分らしさ」を「お母さん」という隠れ蓑で消すと、
子どもは時に不安になって、「お母さんの本当」を探るために
色んな形で“試し”だす。

こっちが「寝てよ」って思ってる時ほど寝ないとか、
悪戯をするとか、怒らせようとして困らせるとか。
「困らせても嫌ったり離れていかないよね?」という信頼の元、
どこか不安で試してしまう。
(恋愛でもよくやりがち)

子どものほうが、本能的で野性的なので侮ってはいけません。
全部バレる。ただ、言葉をまだうまく使えないだけで、
きっと大人より、本質を見抜く力はたけているし
お母さんが大好きだから、信頼してるからこそ、体当たりでぶっこんでくる。

世間で言う正しさを基準にしたり、
なんとなく耳障りのいいことを伝えたり、
空気が読める子にならないと、不幸になるって指導してたり
自分が出来なかったことを、できるようにと願ったり、
情報に惑わされて子育てをすると、

お母さんの“本当”がわからない。
あ、いまお母さんの言ってる言葉は、自分の言葉じゃなくて表面上だって気づいてしまう。
悪戯してみる。
お母さん、ボクいま、悪いことしたよ。怒っていいのにどうして怒ってくれないの?
→これって、すごい孤独感
(怒らない子育てが流行った時、爆発しそうな子をよくみかけました)
お母さんが本音や感情を押し殺しているから
代わりに子どもが大胆に弾けている時もある。
代わりにやってくれて「これしたいんでしょ?みてみて!気づいて」ってやってるのに、
お母さんめっちゃ否定する 

みたいな。

本音が聞こえない事は、
凄く、冷たくて怖い気持ちになる。

人はそもそも微量の毒を成長過程で手にしてきます。
食べ物からも、メディアからも、他人からも、大人からも
毒をちょっとづつ貰ってしまう生き物なので、
自分を守るために、毒を持たないと、生きていけない。
だから、「毒を持つ能力があるのが人間」だと思う。

それも子どもは知っていて
お母さんがただの菩薩のフリをしていたら、こわっ!!!って思うのだ。
人間をやりたくて、人から生まれてきたのに。

弱い所、汚い所、ズルい所、ダサい所、傷つけてしまう所があるから
人はかわいい。

毒される前の子どもたちの方がよっぽど菩薩様に近い。

うちの子たちも自慢ですけど
めちゃくちゃ素直で優しくて、わたしはいつもひっくり返ってしまうんだけど、
たぶん、わたしが毒を隠さないからなんだと思う。
もし、言いすぎたり傷つけたりしてしまったら、
顔で分かるから、ハッとしてすぐに謝ったらいいと思ってる。
(ショックだからずっと謝ってしまって「もういいよ~www」って言ってくれるけど
私の方が傷ついていたりする・・・)
それくらいには、仲良しであるし、これからもそうで居たいなと思っている。

友人が、「わたし毒親だよw」って言ったのをきいて
どんな毒を披露しているのかは分からないけど、
自分でそう思ってるってことは、
ちゃんと、子どもを子ども扱いせずに、対等の「人」として接したいと思ってるから
自分をぶつけちゃったときに「毒親してしもたぁ~~~」と反省できているから
「毒親だよ」っていえるよね~

その反省を「ごめんね」ってチラ見できちゃった子どもたちは、
「お母さん、かわいいかよっ!!!」って、なると思うんですよね~~~元子どもの意見としては!

え?甘えすぎ???

甘えすぎたなっておもって
「甘えすぎてごめんね」って言ってみたことがあるけど
「甘えたらいいんだよ~」って、嬉しそうに頭をなでてくれる娘たち。
仲良しが増す。

わたしも、なかなか最強の毒親だとおもう・・・
そして、世の中のお母さんたちに
「自分らしさが漏れちゃってもそれは毒親とは言わないよ」
と、お伝えしたいなと思って、この記事を書いています。

にんげんだもの~

notice/気付く 本当の宝物

コロナで世界の価値観が揺らぎ、
自分にとっての「本当に大事なもの」ってなんだろう?と、
立ち返った方も多いかと思います。

本能的な場所を刺激して

しあわせってなんだろうとか、
生きる意味ってなんだろう?・・・

とか。

人が感じる「しあわせ」には2種類あって、
ラッキーを感じた時だったり、恋のキャッ♡だったり、臨時収入だったり、誰かに褒めてもらえたりする、瞬間的に血糖値が上がるような幸せは 「お砂糖型」 。ガッとアガって、がんと下がります。

四季の移ろいを感じて鳥の歌声に嬉しくなったり、天気が良かったり、
家族が笑ってたり、他者と緩やかに繋がっている実感であったかいね~とホッとしたり
ただ生きてる事に嬉しくなったり、当たり前に既にある物をじんわりと味わうような「おだしの旨味型」の2種類。
「おだし旨味型」は、ゆっくりとゆるやかに幸せゲージが上昇して、停滞しにくい仕様になって居ます。

両方、楽しめた方が良いのだけど、
ついつい人は、刺激と中毒性の高い「お砂糖型」を求めてそれを「幸せ」だと思ってかき集めてしまう。
けれど、まさにお砂糖と一緒で、

バー――ッとハッピーを感じた後、ザーーーッと冷めていくのがこの類の幸せ。

誰かに評価されて、刺激を求めて、奇跡を連続で起こしていないと、
ドンドンとのどが渇いていく幸せ。
お金や環境に恵まれているのにしあわせを感じられていないという方は、
このパターンな気がしています。

しかも、外的要因が必要だから、どんどん自分自身が渇いていっちゃう。

お砂糖型のしあわせも、時々、エキサイティングに感じていたいけど、
その根底に「おだしの旨味型」の幸せをじっくりとはぐくんで居られたら、
お砂糖が切れても、乾かない幸せがあるのです。

天気がいいね、雨も気持ちいね、桜が咲いたね、ビールが今日も旨いねみたいな、
ささやかで極上の幸せをいかにじっくり味わえるかは、幸せかどうかに大きくかかわってきます。

このコロナで、人と会えなくなり「お砂糖型」のハッピーの摂取が難しくなりました。
お陰で、手の届くところにある幸せに気づく方も増えたと思うし、
これからでも、気づけたら、生きて行く勇気になると思うのです。

目の前の大切で幸せの要素に気づいたら、そのあとにできる事は、
「伝える事」

どれだけ近くに居ても、伝えないとその気持ちは「ない」のと一緒。
伝えるだけで、生きて行くエネルギーに変わると信じています。
(だからというわけでは無いけど、毎日娘たちには尊敬と感謝と愛をうざいレベルで伝えています

って言っても、喋り言葉なので軽いのですが、

「今日のこと、教えてくれてホント嬉しい。ありがとう」とか
手のひらを重ねて「また大きくなったね」とか。

「お‼机の上綺麗だね!」とか発見して褒めると「ありがとう^^」って言ってくれるから嬉しいし、

「(顔見るたびに)今日もカワイッ♡」

みたいな・・・

しみ込め・・・しみ込め・・・これは、本音で呪文・・・(大人の本音はズルさとして駆使します・・・)

手の中のこの小さくて柔らかくて純粋な塊に、
今しかできないことで、何を残したいかなと思ったとき、
わたしの中には絵本がありました。

けっして、「子どものため」に自分を削って差し出すものじゃない、
「子どもとわたしのため」の絵本作り。
絵本は愛を語った喋り声の「音」ではなく、手に取れる「物」に
呪文をしみ込ませた、育児ツールだと思っています。

もしかしたら、絵本のWSに参加して下さる方は
初めての事で緊張しているかもしれない。

だから、お話を聞いて、簡単にムリなく完成が出来るように
「じぶんにはきっとムリだろうな」
みたいなもったいない感覚はウソなので、
それに気づいてもらえるようにアドバイスさせてもらえたらと思っています。
(とはいえ、ご本人が描かないと進まず完成の保証もできないので、
「描きたいな!」って心が動いた方限定になってしまうのですが・・・!)

言葉は過去になってしまったら勘違いが含まれてくるけど、
絵本は読まれた分ヨレて色あせるけど、開くたびに鮮やかに今の大好きを内包して届けてくれます♪

次女、頭を打ってゲロが止まらなくなった話

先日の金曜日に遊びの中で次女が強く頭をうったのです。

その後、1時間は泣き続け、頭が痛いとずっとうねうねと動き続けていて抱きかかえたら、吐いた。

頭を打つ。
脳みそという生死にかかわるとっても大事な所の事は
本当に怖くって、焦ったし、わたしの判断が超重要になった。

介抱しながら病院調べて、症状調べて電話して、決める。
恐い。どうしよう。けど、冷静でいないと。
わたししか、いないんだから。

その後もいっぱい吐くし、なんと言っても頭をぶつけた時の記憶が無かったからとっても心配で、
冷静でいつつも病院に3回も電話して相談してしまった。

うちは田舎なので病院まで1時間。
とおい。

脳震とうのときは、車の揺れでまた気持ちが悪くさせてしまうと言われたから
病院に行くかもめちゃくちゃ悩んだけど
私も本人も、ひとまず安心したかったから、病院に行くことに。

CTをとってもらい、とても美しい脳みそを見て
ホッとしたこともあって、可愛い頭蓋骨だなぁと感心しました。
本人も少しずつ意識がはっきりしてきて、おしゃべりも出来るようになってきたからホッとした。

けどずっと体にのこった男前な緊張がとれなくて、
それはお風呂にも入ったけど取れなくて、肩と胸のあたりが、岩みたいだった。

それから2日。

次女が今日、どら焼きを食べて生きてるなぁ~と思ったら
突然、凄く泣きたくなって。

「あぁ~死ぬかと思って怖かったよ~」と、子どもみたいに泣いたら、
すごく気持ちがよかった。
やっと本音が出てきて、わたしもやっと家に帰ってきた感じがします。

私が一番怖いのは、娘が死んでしまう事。
それ以外はそんなに怖くない。想像できるから。
こんな体験、二度としたくないけど、
いざというとき、わたしは強くなりすぎるから、
もうちょっと周りの人に頼ってもよかったなって思う。

けどなぁ~頼るのも余裕がいるよね。
余裕ないと、頼れないわ・・・説明する手間とか、
心配りをする余裕がわたしにはなかった。

説明もしないで、心も配らないで、誰かに頼れる本物の可愛い女になりたい。

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絵本に落とす、バニラエッセンス2滴ほどのズルさ

この2冊は、2年前に、2人の娘の誕生日に描いたものです。

私は、母に絵本を描いてもらった経験があります。ありがたや~
中学校の家庭科の先生をしていた母は、育児の授業で絵本を描くことを
教えていて、そのサンプルが第1冊目の絵本だったと思います。

タイトルは、「ゆみちゃんと、バナナジュース」

バナナジュースをただ作るだけのお話で、
こぐまちゃんのホットケーキみたいな話でした。

我が家は「お風呂上がりのおやつ」という制度があって、
お風呂上りにフルーツを食べる謎習慣がありました。
そのおやつの時間に、バナナジュースを妹たちが生まれる前、
妹が生まれる前までの私が両親を独占していた時期に母と作っていたバナナジュース。
バニラエッセンスを入れると、劇的に美味しくなるのに、
そのまま舐めたら全然ピンと来ない魔法の2滴に驚いた夜。

その個人的な驚きはもちろん描かれていないんだけど
あの感覚がこの絵本を開くとふわりと香るのです。
ラフな線と薄い色、ふわふわした脱力系。

わたしも母も笑顔が優しい絵は
母が穏やかな気持ちで一緒に何かをしたことを喜んでくれていたんだなぁ~って
それだけでとても幸せな気分になる絵本。

母とは相性が悪い。

人には相性があるから親子でも「いい悪い」があるし、親の理想をなぞれる器用さもなく
親からしたら「我が子を理解出来ない不安」
私からしたら「理解してもらえない寂しさ」で
思春期に突入したころにはなかなかハードに2人の心は引っ張り合いすぎて
モーセの海みたいにバキッと別れていました。

私の方がドライに「わかってよ!」みたいな感じで甘えてて、(わかりにくい)
母の方が皿を投げたりする感じで「察しろよ!」と甘えていた感じがあるから
お互い未熟だったのだと思います。
スマートなグレ方を模索する女子高生時代、母との距離が広がる中、
「ゆみちゃんとバナナジュース」を寝室で見つけたんです。

少しくすんで汚れた母の作ってくれた絵本は
わたしが小さい体で全力で母の事が大好きで 
母も素直にわたしを可愛がってくれていた当時の気配を残していて
荒れ果てた心の中で、じんわりと愛情を感じられたんです。

なんだかんだいって、この一瞬があった事で、意地が解けてちょっと大人に・・・

やがてわたしも母になり、母のような”母”になりたくないと思う一方で、
振り返れば母なりの懸命な子育てを愛おしく思えるし、
そもそも母はいつでも母らしく有ってくれた事などたくさん憧れるのですが、
数ある、「わたしのお母さんで良かったな」と思えるひとつとして、
母の描いた絵本は愛のコミュニケーションとして快進撃だったなぁと思うのです。

そして、私も母に倣って、絵本で娘たちにいつかの快進撃を今のうちに放っておこうと
ちょっとズルい気持ちもバニラエッセンス程度に数滴たらして
絵本を描いたのです。
こうして、時を越えても効力が残る愛情の事をわたしは「愛情保険」と呼んでいます。
素敵なところは、全力でパクる精神です!

ストーリーを考える時に、ふたりには「どんな人になりたい?」と「今ハマってるのはなに?」の2つの質問をしました。

そこから生まれた2冊です。

ふたりとも、この絵本を誇らしく想ってくれていて何かと文句も言うんだけど
結局へらへらと嬉しそうに眺めてくれています。

わたしが2人の勇気になるといいな~と思うメッセージと 
こういう顔とかホント好き♡みたいなを含んでいるから、
じぶんで読んでいて泣きそうになります。
この絵本を読んで、泣きそうになるのは、世界できっとわたしだけだと思う。
素直な気持ち、本当の自分を声に出したり形にすると、人は泣きたくなるのです。

だから、絵本を描くっていう体験を色んな大人の人にして欲しいなって、
今とっても思っています。
こんな時代だからこそ、消費されていくコピーのものも大切にしつつ、

「絵を描く」や、「話を作る」のハードルを低くして、
わたしにも絵本が出来た!っていう達成感を感じてもらうためのお手伝いをしたい。
そして、絵を描くって気持ちいい♡っていうクリエイティブの中のゾーンを体験してもらいたい。
そして、誰かに堂々と大好きな人の話をするのって少し引け目があると思うのですが、
絵本を描かなきゃいけないので、わたしにいっぱい話をして欲しいのです。
(自分を知る・自分を語る・物を作る という行為は「幸せの基礎」になるセラピーの要素があります)

少し、自分の内側に入っていくし、思い出すこともあると思うので
案外、心を動かす体力と、「完成させないと」みたいなプレッシャーを感じがちかと思います。
なるべく気楽に「完成しちゃった」と、誘えるようにお手伝いさせていただきます♪

準備中のところもあるけれど、
問い合わせなどはこちらから~♪

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