この2冊は、2年前に、2人の娘の誕生日に描いたものです。
私は、母に絵本を描いてもらった経験があります。ありがたや~
中学校の家庭科の先生をしていた母は、育児の授業で絵本を描くことを
教えていて、そのサンプルが第1冊目の絵本だったと思います。
タイトルは、「ゆみちゃんと、バナナジュース」
バナナジュースをただ作るだけのお話で、
こぐまちゃんのホットケーキみたいな話でした。
我が家は「お風呂上がりのおやつ」という制度があって、
お風呂上りにフルーツを食べる謎習慣がありました。
そのおやつの時間に、バナナジュースを妹たちが生まれる前、
妹が生まれる前までの私が両親を独占していた時期に母と作っていたバナナジュース。
バニラエッセンスを入れると、劇的に美味しくなるのに、
そのまま舐めたら全然ピンと来ない魔法の2滴に驚いた夜。
その個人的な驚きはもちろん描かれていないんだけど
あの感覚がこの絵本を開くとふわりと香るのです。
ラフな線と薄い色、ふわふわした脱力系。
わたしも母も笑顔が優しい絵は
母が穏やかな気持ちで一緒に何かをしたことを喜んでくれていたんだなぁ~って
それだけでとても幸せな気分になる絵本。
母とは相性が悪い。
人には相性があるから親子でも「いい悪い」があるし、親の理想をなぞれる器用さもなく
親からしたら「我が子を理解出来ない不安」
私からしたら「理解してもらえない寂しさ」で
思春期に突入したころにはなかなかハードに2人の心は引っ張り合いすぎて
モーセの海みたいにバキッと別れていました。
私の方がドライに「わかってよ!」みたいな感じで甘えてて、(わかりにくい)
母の方が皿を投げたりする感じで「察しろよ!」と甘えていた感じがあるから
お互い未熟だったのだと思います。
スマートなグレ方を模索する女子高生時代、母との距離が広がる中、
「ゆみちゃんとバナナジュース」を寝室で見つけたんです。
少しくすんで汚れた母の作ってくれた絵本は
わたしが小さい体で全力で母の事が大好きで
母も素直にわたしを可愛がってくれていた当時の気配を残していて
荒れ果てた心の中で、じんわりと愛情を感じられたんです。
なんだかんだいって、この一瞬があった事で、意地が解けてちょっと大人に・・・
やがてわたしも母になり、母のような”母”になりたくないと思う一方で、
振り返れば母なりの懸命な子育てを愛おしく思えるし、
そもそも母はいつでも母らしく有ってくれた事などたくさん憧れるのですが、
数ある、「わたしのお母さんで良かったな」と思えるひとつとして、
母の描いた絵本は愛のコミュニケーションとして快進撃だったなぁと思うのです。
そして、私も母に倣って、絵本で娘たちにいつかの快進撃を今のうちに放っておこうと
ちょっとズルい気持ちもバニラエッセンス程度に数滴たらして
絵本を描いたのです。
こうして、時を越えても効力が残る愛情の事をわたしは「愛情保険」と呼んでいます。
素敵なところは、全力でパクる精神です!
ストーリーを考える時に、ふたりには「どんな人になりたい?」と「今ハマってるのはなに?」の2つの質問をしました。
そこから生まれた2冊です。
ふたりとも、この絵本を誇らしく想ってくれていて何かと文句も言うんだけど
結局へらへらと嬉しそうに眺めてくれています。
わたしが2人の勇気になるといいな~と思うメッセージと
こういう顔とかホント好き♡みたいなを含んでいるから、
じぶんで読んでいて泣きそうになります。
この絵本を読んで、泣きそうになるのは、世界できっとわたしだけだと思う。
素直な気持ち、本当の自分を声に出したり形にすると、人は泣きたくなるのです。
だから、絵本を描くっていう体験を色んな大人の人にして欲しいなって、
今とっても思っています。
こんな時代だからこそ、消費されていくコピーのものも大切にしつつ、
「絵を描く」や、「話を作る」のハードルを低くして、
わたしにも絵本が出来た!っていう達成感を感じてもらうためのお手伝いをしたい。
そして、絵を描くって気持ちいい♡っていうクリエイティブの中のゾーンを体験してもらいたい。
そして、誰かに堂々と大好きな人の話をするのって少し引け目があると思うのですが、
絵本を描かなきゃいけないので、わたしにいっぱい話をして欲しいのです。
(自分を知る・自分を語る・物を作る という行為は「幸せの基礎」になるセラピーの要素があります)
少し、自分の内側に入っていくし、思い出すこともあると思うので
案外、心を動かす体力と、「完成させないと」みたいなプレッシャーを感じがちかと思います。
なるべく気楽に「完成しちゃった」と、誘えるようにお手伝いさせていただきます♪
準備中のところもあるけれど、
問い合わせなどはこちらから~♪