コロナで世界の価値観が揺らぎ、
自分にとっての「本当に大事なもの」ってなんだろう?と、
立ち返った方も多いかと思います。
本能的な場所を刺激して
しあわせってなんだろうとか、
生きる意味ってなんだろう?・・・
とか。
人が感じる「しあわせ」には2種類あって、
ラッキーを感じた時だったり、恋のキャッ♡だったり、臨時収入だったり、誰かに褒めてもらえたりする、瞬間的に血糖値が上がるような幸せは 「お砂糖型」 。ガッとアガって、がんと下がります。
四季の移ろいを感じて鳥の歌声に嬉しくなったり、天気が良かったり、
家族が笑ってたり、他者と緩やかに繋がっている実感であったかいね~とホッとしたり
ただ生きてる事に嬉しくなったり、当たり前に既にある物をじんわりと味わうような「おだしの旨味型」の2種類。
「おだし旨味型」は、ゆっくりとゆるやかに幸せゲージが上昇して、停滞しにくい仕様になって居ます。
両方、楽しめた方が良いのだけど、
ついつい人は、刺激と中毒性の高い「お砂糖型」を求めてそれを「幸せ」だと思ってかき集めてしまう。
けれど、まさにお砂糖と一緒で、
バー――ッとハッピーを感じた後、ザーーーッと冷めていくのがこの類の幸せ。
誰かに評価されて、刺激を求めて、奇跡を連続で起こしていないと、
ドンドンとのどが渇いていく幸せ。
お金や環境に恵まれているのにしあわせを感じられていないという方は、
このパターンな気がしています。
しかも、外的要因が必要だから、どんどん自分自身が渇いていっちゃう。
お砂糖型のしあわせも、時々、エキサイティングに感じていたいけど、
その根底に「おだしの旨味型」の幸せをじっくりとはぐくんで居られたら、
お砂糖が切れても、乾かない幸せがあるのです。
天気がいいね、雨も気持ちいね、桜が咲いたね、ビールが今日も旨いねみたいな、
ささやかで極上の幸せをいかにじっくり味わえるかは、幸せかどうかに大きくかかわってきます。
このコロナで、人と会えなくなり「お砂糖型」のハッピーの摂取が難しくなりました。
お陰で、手の届くところにある幸せに気づく方も増えたと思うし、
これからでも、気づけたら、生きて行く勇気になると思うのです。
目の前の大切で幸せの要素に気づいたら、そのあとにできる事は、
「伝える事」
どれだけ近くに居ても、伝えないとその気持ちは「ない」のと一緒。
伝えるだけで、生きて行くエネルギーに変わると信じています。
(だからというわけでは無いけど、毎日娘たちには尊敬と感謝と愛をうざいレベルで伝えています
)
って言っても、喋り言葉なので軽いのですが、
「今日のこと、教えてくれてホント嬉しい。ありがとう」とか
手のひらを重ねて「また大きくなったね」とか。
「お‼机の上綺麗だね!」とか発見して褒めると「ありがとう^^」って言ってくれるから嬉しいし、
「(顔見るたびに)今日もカワイッ♡」
みたいな・・・
しみ込め・・・しみ込め・・・これは、本音で呪文・・・(大人の本音はズルさとして駆使します・・・)
手の中のこの小さくて柔らかくて純粋な塊に、
今しかできないことで、何を残したいかなと思ったとき、
わたしの中には絵本がありました。
けっして、「子どものため」に自分を削って差し出すものじゃない、
「子どもとわたしのため」の絵本作り。
絵本は愛を語った喋り声の「音」ではなく、手に取れる「物」に
呪文をしみ込ませた、育児ツールだと思っています。
もしかしたら、絵本のWSに参加して下さる方は
初めての事で緊張しているかもしれない。
だから、お話を聞いて、簡単にムリなく完成が出来るように
「じぶんにはきっとムリだろうな」
みたいなもったいない感覚はウソなので、
それに気づいてもらえるようにアドバイスさせてもらえたらと思っています。
(とはいえ、ご本人が描かないと進まず完成の保証もできないので、
「描きたいな!」って心が動いた方限定になってしまうのですが・・・!)
言葉は過去になってしまったら勘違いが含まれてくるけど、
絵本は読まれた分ヨレて色あせるけど、開くたびに鮮やかに今の大好きを内包して届けてくれます♪